絶景よりも、気づいた光景を切り取って撮ることが好きです。
撮り溜めた写真を、行き先別に抜粋してログにしています。
今回は、「茨城県・鹿島神宮」です。
鹿島神宮は、香取神宮、息栖神社と合わせて、「東国三社」と呼ばれています。
本稿の写真は、カメラは一般的なデジカメでは35mmフルサイズの次に大きいAPS-Cサイズのイメージセンサーを搭載、レンズはツァイスを使って撮っています。
大きいサイズのイメージセンサーのメリットを最大に生かして、RAWデータから現像、色調補正をしていますので、写真は高画質で高い再現力を実現しています。
パソコンなど大きな画面ほど、画質、再現力の違い、差が現れます。
山街ハイクのphotolog ~「茨城県・鹿島神宮」編
今回の行き先
今回の行き先は、「茨城県・鹿島神宮」です。
5月の上旬、「東国三社」と呼ばれる香取神宮、息栖神社と合わせて行って来ました。
鹿島神宮は、日本の建国・日本三大軍神の1人、剣神、武神である武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)を祀っています。
ご利益は、武道必勝、家内安全、交通安全、地域安全、心願成就、健康、開運、除災招福、厄除け、良縁成就、安産、子宝、七五三、学業成就、成人式などです。
「神宮」という名、社号が付いているは、「鹿島神宮」以外に、「伊勢神宮」、「香取神宮」、「霧島神宮」、「鹿児島神宮」、「平安神宮」、「明治神宮」ですが、明治以前は「伊勢神宮」、「鹿島神宮」、「香取神宮」のみという屈指の名社です。
「東国三社」とは、経津大主神(ふつぬしのおおかみ/ 香取神宮の御祭神)、武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ / 鹿島神宮の御祭神)、天乃鳥船神(あめのとりふねのかみ / 息栖神社の相殿神、久那斗神(くなどのかみ)が主神)の神々が、天照大神(あまてらすおおみかみ)からの命を受けて、出雲の大国主神(おおくにぬしのかみ)から葦原中国 / 今の日本を譲らせ平定したとする神話の神々を祀っている鹿島神宮、香取神宮、息栖神社の総称のことです。
「国譲り」の神話
高天原(天上界)を治めていた天照大神(あまてらすおおみかみ/ 伊勢神宮・内宮の御祭神)は、葦原中国(あしはらのなかつくに)今の日本を治めるべく、それを八百万の神に相談しました。
大国主神(おおくにぬしのかみ)が築かれた葦原中国は「豊葦原瑞穂国」とも呼ばれ、国土の開拓、農業、商業や医療などが普及し豊かな国でした。
天照大神は、大国主神の元に国を譲るよう天穂日命(あめのほひのみこと)を遣わされましたが失敗に終わります。
次に天稚彦(あめのわかひこ)が遣わされましたが、これも失敗に終わりました。
三度目の使者として、経津大主神(ふつぬしのおおかみ/ 香取神宮の御祭神)、武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ / 鹿島神宮の御祭神)、天乃鳥船神(あめのとりふねのかみ / 息栖神社の相殿神、久那斗神(くなどのかみ)が主神)の神が天照大神の命を受け遣わされました。
大国主神は子の建御名方神(たけみなかた のかみ)に相談しました。
出雲の国で一番力の強い建御名方神は、「力比べで決めよう」と申し出、武甕槌大神と力比べをしますが武甕槌大神が圧勝します。
こうして、大国主神は天照大神の命令に従い葦原中国を譲ることになりました。
photolog
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香取神宮の御朱印
鹿島神宮の御朱印です。
こちらを頂いてきました。
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